Loading...

鳥居強衛門

鳥居強衛門

鳥居強衛門

忠義の人、長篠城の救世主

❶鳥居強右衛門は今の豊川で生まれます、小さい頃から相撲と水泳が得意で剛力とされています。生誕地である市田には「鳥居本家跡」があり、その隣には「松永寺」があり、木像の鳥居右強衛門の像が安置されています。
❷その後、奥平の足軽として長篠城に配備された鳥居右強衛門、長篠城が武田勢1万5千に囲まれ、食糧庫であった瓢丸を失います。それにより岡崎に援軍を求め使者を出す事となった長篠城ですが、その役を仰せつかったのが鳥居強右衛門です。(鈴木金七郎の同行として仰せつかったとされています。
❸泳ぎの得意であった鳥居右強衛門ですが、まずは長篠城から豊川を泳いで脱出します。川には武田が鳴子を張り巡らせますが、その範囲を潜って泳ぎ切ったと言われております。のたばで狼煙をあげ、長篠城内の味方に脱出成功の知らせを送ります。
❹その後、半日程度で岡崎まで到着した強右衛門に、徳川家康だけでなく織田信長も面会したと言われております。そしてその危険を顧みず仲間の窮地を伝えに来た強右衛門を織田信長は褒め、既に兵は用意してある自分達と行動を共にせよと伝えます。それに対し強衛門は、仲間に一刻も早く救援の知らせを伝えたいとその申し出を断って帰路に着きます。
❺岡崎にて織田軍の案内人として残った鈴木金七郎とも別れ、長篠城を目指す鳥居強衛門。脱出の知らせをしたのたばで、再度援軍申し立て成功の狼煙を上げます。その狼煙を確認した長篠城は喚起を上げて答えます。その後長篠城近辺までたどり着いた強衛門は、城に潜り込めないかを探ります。しかし、歓喜が上がる城内に警戒を強めていた武田勢に捕まり勝頼公の前に差し出されます。そして「援軍は来ない、城を明け渡せと伝えよ」と迫られ了承の意思を伝えます。
❻長篠城から寒狭川を挟んだ対岸で仲間の前に出された鳥居強衛門、その時強衛門は城を守る仲間に「援軍は来る!織田信長公が岡崎まで来て援軍の準備をしている後に2,3日だ頑張られよ!」そして武田勢に抑えられた鳥居強右衛門は翌日に磔となり、槍で突かれて命を落とすことになります。その様子は武田の家臣でありながらも強衛門の忠義の姿に感銘した落合佐平治によって旗印として描かれ今に残ります。
❼今でも長篠で5月5日に行われる「長篠のぼりまつり」では、戦国街道ランと言い、岡崎城から長篠城まで鳥居右強衛門が走ったとされる65kmをはしり、祭りの閉会の挨拶をしています。
❽アラモの砦
❾明治35年に、業績を讃えられ、後世に伝える為、「鳥居閣」が建立された、今でも地元の人々で「鳥居強右衛門まつり」が行われ手厚く供養されている。
❿鳳来寺鉄道(のちのJR飯田線)は鳥居格のある新昌寺近くの駅を鳥居駅と命名した。

関連タグ

人物一覧