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鈴木金七郎
鈴木金七郎
地元のヒーロー、戦は嫌だと帰農する。
❶鳥居強衛門は、奥平の家臣としての記録がありませんが、(使者として送られた記述はあります。)鈴木金七郎は長篠城での地位があったことが記述として残っており、豊川生まれの強衛門だけではなく、地域を理解している鈴木金七郎の必要性が謳われています。
❷家臣として地位のあった金七郎は、命令を守ると言う事で忠義を図ります。鳥居強衛門と同様に信長と接見したと言われております。その上で信長に道先案内をするように言われ、信長本隊と行動を共にします。2,3日の間には本隊が到達する事を考えれば合理的な考えだと言われております。
❸元々は下級武士であった鈴木金七郎、この戦いで手柄は立てるものの、鳥居強衛門の陰に隠れてしまいます。戦に嫌気がさたとされていますが、何よりも作手と言う場所で帰農したことが記録で残っております。
❹その様に新城と言う場所では地位があり、そして家族を残した金七郎ですが、今でも家系の方がご活躍されています。その中では作曲家として地元の中学校の効果に名前を残す「鈴木」や金七郎のお墓を守り、新城茶を今に引き継ぐ「鈴木製茶」等広く活躍の場を持たれております。
❺見直す会の活動 新城では永くに慰霊祭を続けてまいりました。それ故鈴木金七郎がとった功績は平和を愛しながらも、地元を愛し、仲間を愛しそして忠義を尽くした形として受け止められています。それ故、鳥居強衛門に比べて歴史の片隅に埋もれてしまった金七郎を見直そうと「金七郎の功績を見直す会」が発足し活動を重ねられています。