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亀姫
亀姫
家康公が残した平和の象徴 瀬名姫の忘れ形見
❶亀姫は家康の長女であり、瀬名姫の忘れ形見である。駿府一美人と称される瀬名姫の娘らしく美しかったとされる。彼女の兄、松平信康、そして母である瀬名姫を信長との関係で自害させるしかなかった家康にとって、唯一の生き残りであり寵愛したが、これまた信長の提案で奥平が徳川に帰順する条件として亀姫の奥平との婚姻が約束された。信玄が亡くなたタイミングで徳川との関係を強固なものにしたい奥平にとっては大きな賭けとなった。
❷長篠・設楽原の合戦が大勝利に終わった、織田・徳川連合軍、その最大の功労者である奥平信昌、その正室として嫁いだ亀姫は、その戦でボロボロになった長篠城を解体し豊川下流に新しく立て直した「しんしろ(新城)」にて住まう様になりました。それ故家康は、その後江戸で政治を行うときも、亀姫の事を「新城の君」と呼んでいたそうであり、その事は「徳川家康公直筆」にて確認できます。
❸奥平信昌との関係は良好で、信昌に一人も側室を置かせず、四人の男子と1人の女の子を授かりました。家康の関東への国替えに伴い、上野小幡三万石、関ヶ原の戦いで功を上げ、美濃国加納10万石へと加増転封されます。そして1717年に奥平が入封した中津城では、長篠城の籠城偲んで、「たにし祭」が開催されています。
❹亀姫は家康公の長女として66歳と言う当時としては長生きと言える天寿を全うしました。4人いた妹たちがすべて先立っていることを考えると長寿であったと思います。関係がある岐阜県岐阜市の国光寺、岡崎市の法蔵寺、そして新城は大善寺にそれぞれお墓があります。