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野田城
野田城
武田信玄 対 德川(山家三方衆は菅沼定盈が戦った舞台です。)
元亀元年(1572)冬、三方ヶ原の戦いで徳川家康を撃破した武田信玄は、宇利峠(新城市と静岡県境)を越えて奥三河 菅沼定盈のまもる野田城を囲みます。山家三方衆の野田菅沼家は、武田軍の奥三河侵攻後も徳川氏に従っていました。年を越して正月、囲まれた野田城は、小さな城ながら中々落ちません。その城内から、夜毎に美しい笛の音が聞こえます。笛の名人村松芳休の吹く笛の音は夜の闇に紛れて近づく武田信玄に聞きいらせ、場内からこの様子を見ていた鳥居三左衛門が十三匁の火縄銃で信玄を狙撃し、武田信玄に命中したと言われます。その危機を悟られまいと武田により落城(2月10日)武田信玄死去は4月12日とされています。(死因は、この鉄砲説と病気説の2つがある。)