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柿本城

柿本城

柿本城

井伊谷三人衆鈴木重時の居城

元亀3年(1572))10月3日に、甲府を出発した武田軍その中には山県昌景率いる5千の軍勢が東三河に侵攻しました。東三河の北部、遠江、信濃と接するあたりを奥三河と呼びますが、そこには「山家三方衆」と呼ばれる田峯城の菅沼氏、長篠城の菅沼氏、木兎で亀山城の奥平氏」らがおり、前年から武田軍に帰順していました。山県昌景は、「山形三法衆」を瀬能に立たせ、東三河を南下して行きましたが、柿本城の鈴木茂辰が家康方に属していた為柿本城が攻められることとなった。この時柿本城はまだ築城途中であり、5千人の軍勢に攻められてはひとたまりもありませんでした。結局、城主鈴木茂人きは満光寺の住職が仲介に入り降伏することとなりました。

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