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久保城(宮ザキ園)

久保城(宮ザキ園)

久保城(宮ザキ園)

200年続くお茶屋さん、久保城の主

宮崎園の創業は江戸時代後期の文政の時代とされています。6代目になる梅村篤志さんが当主になるにあたり、宮ザキ園と名を改め、初代と変わらぬ味と香り、和の心、伝統を守りつつ新しい試みに挑戦されています。特に「宮ザキ園」の「わ紅茶」と男川の服流水で作る、「かき氷」は絶品です。その裏にある久保城は亀山城の支城として岡崎城へと続く街道(県道7号線)を見張る位置にあります。おそらく鳥居強右衛門も、長篠の役でこの道を駆け抜けたと思われます。三河奥平氏が作手から勢力を広げ、宮崎地区を寮した時に拠点とした城で、武田軍の疑惑を振り切り、一族郎党脱出した先が久保城であったり、元亀元年(1570)奥平諸将は、久保城に集まり一族の存続を図る為、武田方、徳川方に着く事を密談しました。これを「久保城の密談」と言います。この時、奥平貞能、貞昌親子は武田方から徳川方に帰属します。

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